首都圏が4年ぶりの大雪に見舞われた日、
帰宅の足が混乱したのは記憶に新しいところです。
その日、私も多くのサラリーマンと同じように、
いつもより少し早く帰路につき、大混雑の駅で電車を待ち、
ギューギュの車内でなすすべもなく立っていました。
車内では、アナウンスが絶え間なく繰り返されていました。
皆さんの乗られた車両やバスのアナウンス、いつもと同じでしたか。
私の利用した車両で実際どのようなアナウンスがされたかというと…
「電車が発車できませんので、下がってくださ~い」
「車内が大変込み合っておりま~す」
「大変暑いので送風をいれま~す」
いつもと違う通勤風景についもりあがっちゃって語尾がのびた風。
さらに、
「大雪のため電車に遅延が発生し、ご迷惑をおかけしておりま~す」
「大雪のため後続車に遅れがでており、発車まちで~す」
「大雪のため車両間隔がつまっており、発車の指示まちで~す」
と、雪で大変なのだと訴えかけてくる頑張ってますアピール風。(笑)
とどめは、駅に着くごとに
「大雪のためホームが大変滑りやすくなっております、どうぞ~、みなさまお気をつけて~」と、
親切が繰り返される時代遅れの演歌風。(笑)
このとき、果たして、アナウンスがインフラであると意識されていたのでしょうか。
大げさに言えば、スマホに手も届かず閉じ込められている乗客にとって、
アナウンスは命綱だったのです。
笑えるアナウンスや楽しいアナウンスには気持ちが和らぐ利点はありますが、
乗客の選択肢は広がりません。
混雑具合や運行見込み、乗り換え状況などの正しい情報が提供されれば、
乗るべきか、待つべきか個人で合理的な判断ができ、
混雑が分散した可能性があったのではないかと感じます。
アナウンスがインフラになるのか、騒音になるのかの違いは、
受け取り手にとって「必要な情報」が提供されているかにかかっています。
「必要な情報」の見極めって状況によって変化するんだと、
広報に携わる人間としても考え続けていかなくてはならないと再確認しました。
写真:屋根に、ばいきんまんが…。