「万引き家族」とニュースとわたしと

 

第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞した、「万引き家族」を見てきました。

すでに色々と報道されていて、賛否もあるようですが、すごく、良かったです。

感想はそれだけにしておきます。そうしないと、いろんな思いが溢れて、胸がいっぱいになる映画なので、いろいろとネタバレしてしまいそうです。

ほとんどの人が、この映画を見ながら、ある女の子のことを思っていたのではないかと想像します。

この映画が公開される直前、目黒の女の子の痛ましい虐待事件が報道されました。たった5歳の女の子が残した手紙が痛々しく、社会に大きな衝撃を与え、一層悲しみと怒りの感情を強くさせました。映画の中に登場する、少女がちょうど同じくらいの年頃で、事件で亡くなった少女の姿と重なるのです。なんとも言えない感情が何度もこみ上げました。

最近通勤中に、radikoでTBSラジオの「伊集院光とらじおと」を聴いているのですが、ニュースの解説をする「ニュースと」のコーナーがあります。納得のいかないニュースも、伊集院さんや、編集委員さんの解説でストンと腹落ちすることが多々あります。目黒の事件があった日の翌日「ニュースと」のコーナーでも、この事件を取り上げていました。

なぜ気づいてあげられなかったのだろう。なぜ無理矢理にでも保護しなかったのだろう。子育てへの支援が足りないのではないか。子供を救うためには、もっと踏み込んでいくべきだ。様々な意見が出て、コーナーが終わろうというところで、最後に付け加えて、伊集院さんが仰った言葉は私にとって、とても衝撃でした。

 
「自分もどうしても子供にイラついてしまって、加害者側に同調しそうになる人がいるかもしれない。でも、そうじゃなくて、結果、あなたがちゃんとしてること、叩かなかったことは、『すごいことなんだよ』と伝えたい」(6月8日木曜日の放送より※正確には覚えていなかったので、radikoで聞き返してみました)

 

私がすっかり忘れていた、約20年前の、初めての子育てで不安だった気持ちが一気に蘇りました。そして、これは、あの頃の自分が聞きたかった言葉だと思いました。

虐待のニュースが流れるたびに、妊娠中は、自分が虐待をする親になってしまうんではないか、、、との不安にさいなまれました。子供が産まれてからは、なぜ赤ちゃんが泣き止まないのか分からずに、自分も泣きたくなることもしばしば。少し大きくなると、言うことを聞いてくれない子供が、かわいいと思えない瞬間も正直ありました。そんな風に思ってしまう自分はダメだと、思ったりもしました。

そして常に、子供が泣くたびに、自分が虐待していると思われるんじゃないか、との恐怖に怯えていた気がします。

今考えてみると、子育てに慣れるまでの、ごく短い期間、精神的に不安定で敏感な時期でした。もしかしたら、全て自分の思い込みで、勝手に追い込んでいたのかもしれません。でも、虐待のニュースは、あまりに身近で、すぐそばに迫る恐怖で、自分とは無関係なことだと、完全に切り離すことができないものだった気がします。おそらく、少なからず、最初の子育てで、当時の私と同じような思いをしている方はいると思うのです。

伊集院さんは、報道されるニュースの直接的な影響だけでなく、間接的に影響を受ける人の気持ちにまで、思いを巡らせているのです。ラジオの人として、常にご自身が発した言葉がどんな影響を与えるか、あらゆる方面に気を配っている方だとは、常々思っていました。でも今回、一時期当事者であった私ですら、すっかり忘れてしまっていたことを呼び覚ますような、きめ細かい、愛にあふれる気配りをされることに、感動してしまいました。

ラジオで伊集院さんの言葉を聴いた時に、私が意訳して受け取ったメッセージはこれです。これは私があの頃聞きたかった言葉です。

「子育ては思い通りにならなくて、時には苦しくて、それなのに周りの目は厳しくて、頑張っているのに報われないこともあるよね。こういうニュースがあると、なんとなく周りからも監視されているような気分になるよね。でも、大丈夫。あなたはちゃんとやってるから。叩きたい気持ちになることも、誰でもあるから。泣いていても、あなたが虐待しているなんて思わないから」

社会全体が、こう思ってくれていたら、子育て中の親の精神的負担はきっと軽くなると思いました。私もすっかり忘れていてごめんなさい。

愛にあふれる社会であってほしい。万引き家族を見てもそう思うのでした。

※写真は万引き家族Facebookページより

 

 

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