9月に入り東京の暑さは収まりを見せつつも、まだ日中の気温が30度を超える日々が続いています。2018年夏で最も特徴的だった出来事と言えば「平成最後の夏」という言葉が頻繁に用いられていたことだったと思います。
特に、第100回を迎えた全国高等学校野球選手権大会では、開幕前から朝日新聞やテレビ朝日が事前報道に注力し、出場校が最も多い大会で、期間中もレジェンド始球式を行うなど、例年以上に見どころやドラマにあふれた記念大会になっていたように感じます。
(残念ながら私はほとんど試合を見ていませんでした…)
「最後」や「最初」というのは、報じる側からしてもニュース性が高いワードであり、広報側でも意識的にそういった文言を含ませることがあります。企業側から発信されるプレスリリースや発表文書などを見るとそういった言葉を度々見かけることがあります。
そんな中「平成最後の夏」という行動力を伴う言葉が生まれたわけですが、なぜこの言葉にこれほどまでに強さがあるかをきちんと整理して見てみたいと思います。
報道を見て私なりに分析してみた結果、大きく3つのポイントがあると考えます。
1つ目は、生前退位という極めて稀な出来事から言葉が生まれたことです。昨年12月に日本政府は天皇陛下の退位日を2019年4月30日と決定しました。報道によると、天皇の生前退位(譲位)は、江戸後期の119代光格天皇(1771~1840)以来、約200年ぶりとなるそうです。それに伴い、突如として「平成最後の夏」が私たちの前に現れることになりました。この200年ぶりの出来事に、メディアも私たちも一種不思議な感覚を覚え、この言葉に哀愁を感じたのではないのでしょうか。
2つ目に、誰しも初めての経験だったからです。先ほど「最初」や「最後」には、ニュース性が高く、私たちを惹きつけると記載しましたが、まさに「平成最後の夏」は、そのどちらにも当てはまります。200年前から生存している方はもちろんいないので、元号の最後を自覚した状態で迎える夏というのは、誰しも”初めて”の出来事です。
最後3つ目は、そもそも「○○最後の夏」という言葉が当てはまる場面があまりないという点です。小中高生や大学生には、各段階ごとに年数による区切りがあります。つまり「最後」を自覚する機会が必ずあるということです。しかし、それ以外の世界では、多少の区切りはあるものの、あの時ほど明確に「最後」を定義づけられる機会というのは非常に少ないです。「最後」という概念自体も、一定の過去を振り返る際に用いる言葉であり、出来事が始まる前から最後を自覚することはほとんどありません。「昭和最後の夏」や「彼氏・彼女と過ごした最後の夏」は、事象が終わってから「あの時が最後だったなぁ」と意識される(感傷に浸る)ものです。「最後」と自覚して迎えた夏を思いつく限りに最善を尽くそうと、私たちが非常に意欲的になったと思っています。
主にこの3点から「平成最後の夏」にこれほどの威力があり、私たちを動かすバズワードになったと私は考えています。気になった方は、Twitterなどで「平成最後の夏」と検索してみてください。私たちの凄まじい活力と行動力を見る事ができます。
おわりに、私の「平成最後の夏」について少しだけ書きたいと思います。ある1冊の本をきっかけに新日本プロレスにドはまりした私は、平成最後のG1クライマックスを日本武道館に観戦に行きました。新日本プロレスを名実ともにV字回復させた功労者、棚橋弘至選手の復活、そして新たなスタートを示す優勝をしっかりと目に焼き付けてきました。非常に感動的で、生涯忘れることのない「平成最後の夏」を過ごすことができました。
みなさんはどのような「平成最後の夏」を過ごしましたでしょうか?
Y.O