投稿者: 株式会社エイレックス
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いまや世の中「AI」という言葉を耳にしない日はありません。ブームなのか実用定着なのかそれぞれの分野ごとに判断は分かれると思いますが、その先にあるかもしれないシンギュラリティも熱く語られています。
難しいことは抜きにして、映画や小説を引き合いにして自分なりにAIの将来を考えてみました。
SFの世界ではAIというよりも「機械生命体」という表現の方が、その言葉の響きからかよく使われています。この「機械生命体」は純粋な機械のみで構成される場合と、機械と生物の融合体である場合とがありますが、「AI」の先々に思いを馳せたいのであくまで純粋な機械のケースを列挙してみます。
まず、人間が操縦するだけの機械は、感情や判断能力を持っていないため機械生命体とは言えません。大人気の機動戦士ガンダムも生命体ではなくモビルスーツです。
さて、世界的に有名な機械生命体といえば、何と言っても鉄腕アトムでしょう。鉄腕アトムは人間と同じように考え、行動します。ちなみに鉄腕アトムは2003年4月7日に生まれました(ことになっている)。生みの親(製作者)の伝馬博士は、それはそれは大事に育てましたが、アトムが成長しない(背が伸びない・年を取らない)ことに腹を立てて、サーカスに売り飛ばしてしまうというとんでもない設定になっています。
ロボット漫画「鉄人28号」には、3本足のロビーという自ら思考するロボットが登場します。ロビーの場合、善悪の区別がつかない幼少期(?)に、悪い助手が悪事を教えこんだために悪い心を持つロボットになってしまうという設定で、成長段階に注ぐ愛情と言う面でアトムとは対照的な運命を歩んでしまいます。
「鉄腕アトム」では、ロボイドという増殖型のロボットも登場します。ロボットが生物に進化したようなもので、増殖型であるがゆえに親子関係も人間と同じようにあります。そのため物語の中では人間対ロボイドの民族紛争のような様相を呈しており、あまり機械生命体という印象はありません。余談になりますが、人造人間をアンドロイドということに対して、ロボットに似たものとしてロボイドと命名した手塚治虫のセンスには敬服します。
ロビン・ウィリアムズが映画で演じた「アンドリューNDR114」は、もともとは感情を持たないプログラミングされた自立型の機械でしたが、自我を持つようになり結局最後は寿命のある体にアップデートし機能を停止(死)する道を選んでいます。
映画「スタートレック」で登場する機械生命体ボーグは、機械が、生命体の頭脳部分を取り込んで機械に同化させるため、サイボーグ的な機械生命体と言えます。ちなみにこのボーグには感情や征服欲はないが、全ての生命体を機械に同化させると言う目的のみで行動するため非常に厄介な存在として描かれています。
こうしてみると、機械生命体はその使い方・育て方・発展の仕方によっては悲劇を招きかねない存在として描かれていますが、裏を返せば大きなプラス面の可能性を秘めているとも言えます。
『AIは人間を超えるのか?』 昔、「印刷機が心を持ち始め、印刷原稿をすべて習得し、知識欲のためにあらゆる書物を印刷しまくり、暴走し、人間に危害を加え始める」というSF小説がありました。しかしある書物を与えたところ徐々に印刷スピードが遅くなり、ついには印刷を停止し、この騒動は終焉しました。この最後に与えた書物は「哲学」の本でした。印刷機はそこで、自己の存在に関して一つの悟りに達したために動きを停止したと考えられます。体である機械を心が支配したとも言え、ある意味、人間を越えたのかもしれません。
人間は、肉体に心(魂)が宿って生命を維持しており、魂が離れたとき死を迎えると言われています。機械と言う肉体に魂は宿るのでしょうか? 人間は機械を愛せる(アイボの例)と思いますが機械は人間を愛せるのでしょうか? 結局いろいろ考えてもAIの将来はわかりませんでした・・・
待てよ。その前に私は人をきちんと愛しているだろうか? 感謝の心を忘れてはいないだろうか? そっちが先決でした! あらためて今の健康に、家族に、社員に、そしてクライアントに感謝です。
SHUN