約3か月の行動自粛期間、これまでの日常だったモノ・コト・ヒトが大きく変わり、当たり前は当たり前ではないということに、改めて気づかされる日々でした。
しかし一方で、変わらなかったものもあったなと個人的には思っています。テレビや新聞で見聞きするニュースは、どこもコロナ一色でしたし、バラエティ番組や雑誌も普段とは異なる企画を多く目にしました。そんな中、これまでと同じ距離で居続けてくれたメディアとして、ラジオが挙げられると個人的には考えています。
ラジオ番組の多くは、パーソナリティがリモート収録するなど、これまで変わらない形で放送を行い、これまでと変わらない番組内容をできる限り届けようと、各放送局は取り組んでいました。過激なニュースや批判的なコメントに触れる機会が多いこの期間で、この非日常を一瞬だけ遠ざけてくれるものとして、気持ちを和らげてくれました。
感染状況にともない、在宅勤務や行動自粛など、明らかにこれまでと違う日常が進んでいく中で、ラジオが等距離でいれくれたことで、私自身の生活が心身的に大きく揺らぐということはなかったように感じています。
様々なところで言われているように、ラジオには独特の親密感があります。それは番組パーソナリティとの距離感だったり、メールやはがきなどの双方向性だったり、要因は多くあります。こうした緊急時や非日常時に頼ってしまうのは、これまでと”変わらないもの”であることは人間に共通する感情ではないでしょうか。東日本大震災時にもラジオの在り方が見直されたことも記憶にあります。
実際にコロナ状況下で、ラジオの聴衆が増えているというデータも出ています。特にコロナウイルスは、他人と接触することが禁じられていたため、そこをカバーしてくれるものとして、ラジオは非常に機能したのではないかと思っています。
●新型コロナウイルス流行後に、ラジオを聴く機会が増えた人は35.9%
radikoの新聞広告にも、私は心を打たれました。「ちょうどいいぬくもり」まさに、ラジオを聴き続ける理由はここにあると私も同感しました。
緊急事態宣言が解除され、新たな日常の生活が徐々に動き始めています。東京都の感染者は連日3桁を超えており、不安な日々は続きますが、感染予防を万全に、”変わらないもの”と一緒に生活を進めていきたいです。
Y.O