初夏の風物詩といわれたホタルは、昔よく目にしていましたが、現在は全くと言っていいほど見なくなったのではないでしょうか?
東京では現在、「おとめ山公園(新宿区)」、「ほたる公園(福生市)」、「ホテル椿山荘東京(文京区)」、「よみうりランド聖地公園(稲城市)」などで飼育されたホタルを見ることが出来ますが、私が生まれ育った50年前は蛍は身近な存在で、東京でも育った西宮市でもあちらこちらで見ることができたのですが・・・・・。
ではなぜホタルはどこでも見ることができる昆虫ではなくなったのでしょうか?
生息可能な自然が失われたからです。
ホタルが生きるために必要なのは、○きれいな水のある場所、○餌となるカワニナという巻貝の生息している場所、○飛び回ることができ、広くて外灯などの明かりがなくホタルが休むことができる静かなところ、とのようです。
近年、水は綺麗なところが増えましたが、護岸に土がなくなったということもホタルが戻ってこない理由のようです。
さて、そのホタルに今夏思いがけず出会うことができました。新型コロナ感染者増加により西宮への盆帰省をあきらめ、替わりに、近場で、“Go To トラベル”を活用して一泊した御殿場のホテルで。
「数日前に、ホタルを見たとのお客様がいらっしゃいましたよ」とのホテルエの一言を受け、敷地内を散策すると、乱舞とまではいかないものの確かに10数個の光に遭遇することができました。8月という時期からしておそらくヘイケボタルではないかと思います。
自身にとっては、20年前、世田谷の代官屋敷祭りで観て以来のホタルで、ホタルの放つ光は何度見ても神秘的でした。
全国的に“ホタル復活”の活動は地域で行われているようですが、未来のこどもたちに残したい1つですね。
ホタルと言えばもう一つすぐに思い出すのが、高畑勲監督のアニメーション映画「火垂るの墓」。
昭和20年6月、14歳の清太と4歳の節子の兄弟は、父が出征中に空襲で母と家を失い、未亡人のおばを訪ねる。そこでの暮らしもやがて邪魔者扱いされるようになり、二人は防空壕に移り住むが栄養失調で衰弱した節子は、敗戦とともにその命の灯を消してしまう・・・・・・・・・。原作は野坂昭如が、自らの体験をもとに書いた直木賞受賞の同名小説。汚れ弱っていく少女の姿をありのままに描き、その対極で闇を飛ぶホタルの光に人の命を象徴的に重ね合わせて描いたアニメ。節子の幼い独特の表情を豊かに捉えた描写はよりリアルにそして、鮮明に記憶に残る映画となっています。この映画は、反戦映画ではないというものの、過ちを2度と繰り返さないという戒めにもなっていると思えます。命の尊さ平和について考えさせられる映画であり、涙なくしては観られない秀逸な内容に加え、二人が移り住んだところが、自身が生まれ育った西宮市だったこともあり、いつまでも記憶に残る映画となっています。私たちに戦争の怖さをを教えてくれるジブリ作品「火垂るの墓」。以前は、終戦日前後に放映されており、2001年には21.5%の視聴率を記録し、大きな注目を集めていましたが、近年は視聴率が取れないということもあるのか放送回数は減っているようです。
今年は、終戦から75年の節目の年となりましたが、戦争を体験した戦前生まれの世代は減り続け、現在総人口の約15%。だからこそ「火垂るの墓」のような作品は後世に残って欲しい、残さないといけない作品だと思います。
S.K.