表看板と内実のギャップ

米下院公聴会に7月末、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のCEOが呼ばれたときの記録に目を通したら、彼らの「もう一つの隠れた顔」が見えてしまい、衝撃を受けた──。そんな記事を日経新聞の上級論説委員、西條都夫さんが書いています(8月31日付「核心:GAFA、もう一つの顔」)。

たとえばアマゾンの表看板は「カスタマーファースト(顧客第一)」だそうですが、下院公聴会で公開された社内メールから浮かび上がったのは、競合を食って、競争状態をなくそうとするプレデター(略奪者)の姿だった、とのこと。

具体的には、強力なライバルが現れると、損失覚悟で相手よりも5%安く値付けする「略奪的価格設定」戦略を採用し、ライバルを消耗させる。そして相手の体力が弱まったタイミングでその会社を買収し、当面の脅威を取り除くや、安い値付けを修正する。「顧客第一」などとは到底言えない「もう一つの顔」が見えた、と紹介しています。

ところで、私たちも、お客様の広報活動のお手伝いをしていて「表看板」と「内実」のギャップにしばしば直面します。

たとえば、メディアからのインタビュー依頼に応えるとき、当然、事前に準備をします。記者が聞きたがっているテーマや質問を事前に把握して、回答を用意するのは当然ですが、加えて、このインタビューを機に「こんな風に報道されたらいいな」という“理想的な記事像”を思い描き、そこから逆算して、伝えるべきメッセージを検討するのです。

具体的には、「こんな見出しの記事になってほしい」と、記事の見出しをイメージし、そのためにはどんなメッセージを出したらいいかを検討します。

そのとき悩ましいのが、企業が往々にして、その企業の「表看板」──すなわち経営理念だったり、ミッションだったり、ビジョンだったり──を記者向けのメッセージに掲げたくなってしまうことです。

「表看板」は企業が「こうありたい」「こうなりたい」という、将来の自画像のようなものであり、コーポレートスローガン、キャッチコピー、タグラインに近い表現になりがちです。

一方、記者の側は「表看板」にはあまり関心がありません。マーケティング目的で施された「化粧」を剥ぎとったあとの、その企業の「素顔」にこそ報道価値がある。将来像の説明もいいけれど、今の現実の姿をこそ記録に残したい──。彼らは常々こう考えています。作り込まれた抽象的なスローガンでもって説明されると、「それって具体的には、どういうことですか」と、具体的なファクトを聞き出そうとします。

要するに、企業側が、理想的・将来的・抽象的な、作り込まれた「表看板」を発信したがるのに対し、報道する側は現実的・現在的・具体的な、自然な「内実」(事実/真実)を聞きたがる、というギャップがあるのです。

このギャップを埋めるのはなかなか大変ですが、私たちがお客様にアドバイスしているのは、「表看板を裏付けるファクトも忘れずに伝えてくださいね」ということがひとつ。もうひとつ、むしろファクトの方を起点に考えて、「そのファクトが意味すること、そのファクトの世の中に対する意義を伝えましょう」とも助言しています。

コーポレートスローガンを支える具体的なファクトがまだ存在しない場合、当座、その文言はメディア向けメッセージとしては掲げないほうが賢明です。不祥事や事故、内部告発などで、「表看板」に背くようなファクトが現れてしまった場合は、謝罪するのが筋といえます。

ヒトにせよ、企業にせよ、「言っていること」と「やっていること」が違っているのを目の当たりにすると、衝撃を受けますし、愉快ではないです。

言行を一致させ、イメージと実態のギャップを取り除くこと。「ポスト・トゥルース」(脱真実)などと言われる今だからこその、広報の重要な役割だと感じています。

H.H.

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