今年は新型コロナウイルス感染症に始まり、そして終わる一年と言えるかと思いますが、「コロナ禍」(禍=か)という言葉も随分定着しました。
始まりは、活字メディアで使われた4月中旬だったようです。最近では、口語でも「コロナ禍」と使うようになった感があります。しかし「禍」という漢字は見慣れず、Googleでも「コロナ禍とは」「コロナ禍 意味」「コロナ禍 読み方」という検索が多く見られます。
活字メディアというのがポイントですが、この言葉を欲していたのはマスメディアだと、直感で分かりました。特に新聞は、限られたスペースで多くを伝えるため、1文字の重みを理解している媒体です。長い企業名なども頭を抱えられてしまうくらいですから、「新型コロナウイルス感染症」の12文字は大きいでしょう。「禍」という一文字に災難、不吉、苦労、混乱、混沌など、いろいろな意味を込めることができ、「コロナ禍」で4文字は効率的。漢字が威力を発揮しています。
そんな実用的な側面とは別に、「禍=わざわい」とひと括りにすることで、私たちの思考停止を招いているのではないか、という議論もありました。以下は、京都芸術大学の本間正人副学長のSNS投稿(2020年4月18日)です。
(引用ここから)
【コロナ危機 = 生命の危機】
「コロナ禍」という言葉には、違和感を覚えます。老眼だと、渦(うず)や鍋(鍋)や過(すぎる)と読み間違えるということもあります。僕の語感では「禍」を英語にすると tragedy や misfortune という感じになります。自分にはコントロールできない厄災が降りかかってきてどうしようもない状況。「被害者意識」が強くなってしまい、この困難を乗り越えようという気概が削がれるように感じます。
一方、「災害 =disaster」は「ひどい状況」という意味になり、これを復旧する、復興する勢いが生まれ、disaster relief が始まります。ただ、災害は起こってからではなく、予防するのがなんと言っても最重要。「防災 = disaster prevention」こそが必要なのです。
今回の、新型コロナウィルスに対しては、日本版CDCの設立が長年叫ばれていたにもかかわらず、予防体制が不十分なまま感染が始まりました。となると、4/18現在は「crisis =危機」という言葉を用いるのが適切ではないでしょうか?
危機への対応は、迅速さと理性が求められ、あらゆる手立てを尽くして何とかしなければなりません。今まさに、日本の crisis management が問われています。 これ「危機管理」ではなく「危機マネジメント」と呼びたい気持ちです。
(引用ここまで)
危機管理広報に携わる当社は、クライアントに有事が起きた際、「禍」として対応するすべがない、何とか事態が収まるのを待とう、ではなく、「危機」として適切に対処し、必要な情報を積極的に出し、広報の側面から被害を最小限に押さえるサポートをしています。そのため、危機をマネージするという感覚は、しっくり来ます。
「コロナ禍」と言われ始めてから8ヶ月後の現在、首長や医療従事者にとっては今でも「危機」の連続であり、常に判断や対応を迫られている状況かと想像します。一方「コロナ禍」は、危機的状況と接点がなくとも、「コロナのある日常と折り合いをつけて生きる」つまり「コロナ下」の意味で使うこともしばしばで、長期戦に入っていることも感じます。
危機につなげないための手洗い、うがい等の予防は誰でも意識的、積極的にできるもので、気持ちを一つにしてこの「危機」を乗り越えたい、そう願っています。
JT
参考
「新型コロナウイルス」関連のことば ~「コロナ禍」の使い方~(NHK放送文化研究所)
コロナ禍の“禍”の意味知っていますか? 朝日新聞校閲センターが教える日本語の使い方(サライ.jp)