“物語力”再訪

20年前の2006年3月25日、単著を出しました。裏表紙には英語で、“Narrative Method that Moves People” とあります。今やバズワードとなった感のある「ナラティブ」です。
日本語の書名は 『「物語力」で人を動かせ!』


[起] 機中でビビっ──ラインマーカー引きまくり

きっかけは2004年春、移動中の機中で目にしたハーバード・ビジネスレビュー(HBR)の記事の写しでした。

2002年、40歳で米西海岸のビジネススクールを卒業した後、サンフランシスコに部屋を借り続け、エイレックスには契約社員的に、2カ月に1度帰国して研修講師をつとめ、米国ではIビザ(ジャーナリスト・ビザ)でフリーランスのライターをして、日本の雑誌に寄稿していました。

たしか、MITのMOT(技術経営クラス)の教授にインタビューするため、ボストンに飛ぶフライトの中でした。

そのHBRの記事は、脚本家を養成する指導者へのインタビューでした。その脚本家指導者ロバート・マッキー氏が「経営者やビジネスパーソンが論理の限界に気づき、その壁をなんとか越えようと自分に相談にやってくる」と語っていました。その言葉を読んだときビビっときて、「これだ!」とラインマーカーを引きまくりました。

Amazonでマッキー氏の著書(Story)を買って読み、LAで彼が講師を務める脚本家要請のための2日間の入門講座を受講し、昼休みに彼と会話をしてStoryの日本語訳の予定がまだないことを確認し、海外著作権エージェントの名前を聞き出しました。

翌月、東京に戻った際、以前所属した日経新聞の元上司(系列出版社の役員になっていた)を訪問。「ちゃんと食えているのか」と質問されたのを機に、HBRの記事やマッキー氏のこと、彼の著書の日本語訳を出せないか、と一気に伝えました。

すると、その元上司、斎田久夫さんは少し考えてから、「お前のやりたいのは、脚本家向けの翻訳本を出すことなのか? そうじゃないだろう? 日本のビジネスパーソン向けにストーリーテリングの手法がウケると思ったんだろう? なら、それをお前が書けばいいじゃないか」

ビジネスパーソン向けの、ストーリーテリングの効用。たしかにそう。自分が機中でビビっときたのはそれです。

ただ、いきなり本など…。とてもできないのではないか。

ならばと、まずビザをスポンサーしてもらっている日経BP社を訪問し、寄稿先『日経ビジネスアソシエ』に「雑誌記事の企画」として売り込みました。すると編集長の渋谷和宏さん(当時。現在、作家・経済ジャーナリスト、コメンテーター)が、一も二もなく「平野さんそれいいですね、行きましょう!」と前のめりです。

おいおい。もう少し、いろいろ背景や理由を問い質してくれなくて大丈夫なのか?と心配になるほどでしたが、渋谷さん、じつは日経BP社で経済記者をしつつ、シナリオ教室に通っていたことがあり、物語の人を動かす力についてはもう長年、意識していたそうです。道理で話が早い。

そして『アソシエ』の記事になったのが、2004年7月6日号の「物語力とは?」。普通の記事でしたが、同じ号の第1特集を上回る読者の反応だったとかで、自分自身、とても手ごたえを感じました。

ほぼ半年後の第二弾が「『物語力』を身につける」(2005年3月1日号)。当時アソシエの記者だった白壁達久さん(現日経ビジネスクロスメディア編集長)が日本企業を取材して「物語力を活かした実例」を加えてくださり(感謝!)、立体的な特集にしていただきました。これらの記事が三笠書房の編集者の目に留まり、彼らに声をかけていただき、ほぼ1年後の2006年3月、本の出版にこぎつけた次第です。

[承] 周縁・コミュニケーションから本丸・戦略論へ

ビジネススクールで学ぶオーソドックスな経営学では、広報やらコミュニケーションやらの領域は、ともすると周縁/下層に見られがちで(これは間違いだと自分は思っています)、「物語力」をもっと中心部/上位層の、マーケティングだったり戦略の領域にも活用可能であることを書いてみたい!との野望はありました。けれども、そこは能力や経験の限界があり、構想に至らず、前に進めずにいました。

すると、2010年4月、楠木建氏(一橋ビジネススクール教授)が『ストーリーとしての競争戦略』を出しました。即買い、速攻で読みました。面白い。しかも自分のアプローチとは違う。戦略論の大家がモノしたほうが全然いいわ、と妙に納得しました。

2012年夏、エイレックスのクライアントE社が「一橋ビジネスレビュー・イノベーションフォーラム」とコラボする機会があり、楠木先生とごく短時間、あいさつする機会があり、ご著書にサインしてもらうと同時に、自分の本を手渡したところ、「あっ、ぼく、この本読んでるよ」と野太い声で言われ、うれしかったのを覚えています。

その後は続々と、ベストセラー作家や経済学者が「物語」や「ストーリー」をタイトルにつけたビジネス本を出版しています。たとえば、
▼神田昌典氏の『ストーリー思考~フューチャーマッピングで隠れた才能が目覚める』(2014年12月)

▼監修者として早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授の名前を大きく記した『物語戦略』(岩井琢磨・牧口松二著、2016年4月)

極めつけはこれかもしれません。
▼ノーベル経済学賞受賞者(2013年)ロバート・シラー(イェール大学教授)「ナラティブ経済学」原題 Narrative Economics: How Stories Go Viral and Drive Major Economic Events (2019年10月、日本語訳2021年7月)

[転] 「物語発見」の過程は人それぞれ──私の場合

物語などというものは数千年前から存在し、その価値や力に気づいている人は、少なからず存在していました(彼らがストーリーテラーになりました)。しかし逆に、あまりにも当たり前過ぎて、ほとんどの人はその価値や力を認識することはなかったのだと思います。

自分もボストン行きフライトまで、明示的には認識していませんでした。

23歳から38歳まで証券・産業の記者をしていました。30代、主要な産業をカバーするようになり、それなりにニュースをモノにしました。

特ダネを書いた翌日、「ビジネスToday」とワッペンのついた長尺(約200行=2000字強)の記事を書くのが当時の通例でしたが、そのとき当該企業の広報部幹部からしばしば、「今日の平野さんのToday、物語になっているねえ」的なコメントを頂戴したのを覚えています。うれしく、ありがたかったものの、何が、どう、物語なのか、当時の自分はまったく吟味しませんでした。「物語」に特別な意味・価値を感じていませんでした。

一方、バブル崩壊の過程で経営者が自信を失ったからなのか、90年代半ば以降、経営コンサルタントや証券アナリストが経済紙に頻繁にコメンテーターとして登場するようになりました。記者が朝・昼・夜と時間をかけ何人にも会って辿り着いたファクトと似たような結論を、彼らは数字や理屈でいとも簡単に弾き出しているように自分には映りました。

また同じころ、グロービス(創立1992年)が拡大し、日本でもビジネス教育の重要性が広く認識されるようになりました。バーバラ・ミント著『考える技術・書く技術』(グロービス監修、1995年4月)がヒットし、ロジカルシンキングがビジネスパーソンの必須スキルとみなされるようになっていました。

経営は科学、科学は論理、これからはロジック、アナリスト、コンサルでしょう、みたいな空気が産業界に膨らみ始め、自分もそんな空気の圧に押される形で2000年に新聞社をやめ、渡米、留学したわけです。

彼の地バークレーで学んだこと。たしかにそれはマーケティングであり、ファイナンスであり、アカウンティングでした。けれども自分の関心を引いたのは、むしろ教授や生徒が話す話し方、納得や共感のさせ方、人の引っ張り方、話の中身の運び方、単語の選び方などでした。きつい課程をお互いはげまし合って前進したり、見えない未来(ある意味、学生はみな失業中)であっても、友人や偉人の言葉で自分を鼓舞して安心したり。なんとも形容しがたい、人の心を動かすソフトスキルのほうでした。ロジカルシンキングの本場かと思いきや、案外そうでもないな、と感じました。

この、いわく言い難い、モヤモヤ感は卒業後も続きました。MBA取得の報告に2002年初夏、新聞社の元上司を訪ねたとき、日経BP社のエラいさんになっていた大谷清さんが「平野くんの体験談を雑誌に書けばいい」と言います。いやいやいやいや、それは結構です、自分の体験なんてつまらないし、誰も読まないです、そもそも恥ずかしいし。と固辞すると、「そんなことないぞ。40近くで会社辞めて、大枚はたいて自費で米国留学するおっちょこちょいなんて滅多にいない。だまされたと思って書いてみろ」とねばります。

エイレックスで出張ベースで研修講師役を引き受けていたとはいえ、基本はフリーランス・ライターのなんとも脆弱な立場であり、「たしかに原稿料は生活の足しにはなるな」と考えて、日経ビジネスアソシエに寄稿させていただくことになりました(2002年10月~2003年3月に6回連載の「大志養成学校奮戦記_A fulfilling struggle for MBA」)

すると、編集部経由で読者からの反応が届きました。自分の話なんぞだれも読まないだろうからと最初固辞し、でも家賃の足しになるからなあ、と思い直して適当に書いた(いえ、活字に残るものなのでそれなりに全力で書いた)記事に、「心を動かされました」的なメール。

これはいったい何なのだろう。新聞記者時代、自分のニュース記事にそんな反応は一本もなかったのに…。

そんなモヤモヤ感、不思議状態を吹き飛ばしてくれたのが、機中で遭遇した、「ビジネスパーソンが今、ロジックの壁を超えようとして自分のもとにやってきています」と語る脚本家指導者のインタビュー記事だったのです。

これならば自分はよく知っている。記者時代の企業広報部幹部の反応…。ロジックの本場・米ビジネススクールで経験した、ロジックとは違う自分の感情の動かされ方…。体験記への読者の反応…。それまでのモヤモヤにスーッと一本、筋が通り、霧が晴れた感覚でした。

[結]  課題──フォースの悪用をいかに抑え込むか

あれから20年。「物語」「ストーリー」「ナラティブ」はビジネス文脈ですっかり人口に膾炙し、ずいぶん遠くに来たものです。自分の本自体は初刷1万部を売り切るのみの静かなものでしたが、今にいたるエイレックスの提供サービスには、そのエッセンスがしっかりと生かされています。

ただ、ここ数年は、そのマイナス面が目立ってきていて少し気になっています。スターウォーズのフォースにはライトサイドもダークサイドもあるわけですが、「物語」や「ナラティブ」が最近、「フェイク」や「ヘイト」に結びついて記述される機会が増えているのです。

たとえば直近、読売新聞3月23日朝刊1面。「中国が大規模認知戦、昨年の高市首相答弁後に対日批判の投稿急増 本社・サカナAI共同分析」の記事中、「認知戦」の用語解説にはこうあります。

語り手が自身の視点や主張を織り交ぜて語る「ナラティブ」(言説)や偽情報を利用して人々の認知に影響を与え、自国に有利な状況を作り出す戦い。陸・海・空・宇宙・サイバーに続く「第6の戦場」とされている。(読売新聞2026年3月23日付朝刊1面 東京本社14版)

本来ナラティブという単語はライトサイド・ダークサイド中立であるにもかかわらず、この用語解説だと、常時「語り手が自身の視点や主張を織り交ぜて語る」言説を指すかのように読め、すぐ右隣の「偽情報」と並んで、ダークな語感を生み出してしまっています。

書籍では、ジョナサン・ゴットシャルの著書は、邦題『ストーリーが世界を滅ぼす~物語があなたの脳を操作する』が、原題(The Story Paradox: How Our Love of Storytelling Builds Societies and Tears them Down)よりもおどろおどろしく、負の部分がより前面に出ています(邦訳2022年)。

物語力のダークな効果・影響を減じ、ポジティブなそれを高めるにはどうすればいいのでしょうか。プラトンが主張したように詩人(ストーリテラー、物語)を排除すれば、論理の上にユートピアを築けるのでしょうか。そうではないでしょう。

それとも、ファクトチェック(真偽検証)が問題を解決してくれるのでしょうか。それも不十分だと思います。ファクトの段階で「偽」と判断されるような情報は、そもそもストーリーとしてサバイブできません。ファクトは「真」でありつつ、負の効果を人々にもたらすことを狙った悪意、それこそが問題です。

自分にまだ解はありません。20年を経て、もう一度、物語力への興味が高まっています。

平野